会社探訪記 吉沢商事 早さと正確さを大切に – 北海道建設新聞社

強固な供給網で競争に挑む

 吉沢商事(本社・室蘭)は、工場などに鋼管や継手、バルブ、機械工具などを納める産業資材商社。明治35年8月10日に創業し、今年で120周年の歴史を持つ。地域に根差した企業として〝早く正確に〟がモットーで、製造ラインの管類や機械工具の供給を通し、グローバル競争を勝ち抜こうと挑む胆振管内のものづくり企業と共に歩む。

会社探訪記 吉沢商事 早さと正確さを大切に – 北海道建設新聞社

ことしで120周年を迎えた吉沢商事

 1902年、現社長の吉澤政彦さんの曽祖父・吉澤伝次郎氏が船具や漁具工具を扱う「吉沢屋」として創業した。吉澤家は関東・吉沢村(現・山梨県吉沢村)の出身で、吉沢屋は富山県の薬売りが起源。幕末は薩摩藩の隠密として武器輸送も手掛けたと伝えられている。

 その後は海外製薬や繊維工業品の販売、漁網具や機械工具の問屋に転身。北陸と北海道の貿易を結ぶ北前船に投資したが、遭難で富山の家屋敷を明け渡さなければならない事態に追い込まれ、道内を転々としながら室蘭へたどり着いたと語り継がれている。

 大正12年に2代目の伝次郎氏が襲名し、家督を相続。太平洋戦争から1944年12月に休業に追い込まれたものの、46年8月に再開し、48年4月「株式会社吉澤伝次郎商店」に改組した。64年4月に現社名に変更し、政彦さんの父・正雄さんが3代目社長に就く。

 室蘭は、日本製鋼所と日本製鉄を抱える〝鉄の町〟で、昭和期の吉沢商事も地域の工業発展と共に栄えた。近隣の苫小牧では出光興産の北海道製油所が73年に操業したため、同市に支店を設けるなど事業エリアも広げた。

 政彦さんが家業に加わったのは69年。大学卒業後、大阪のバルブ専門商社で3年間でっち奉公し、工業や産業用の資材について理解を深めた。

 「室蘭はピークの人口が16万人で、旧室蘭駅や母恋駅、輪西駅には朝たくさんの人が列車から降り、工場まで歩いて通勤していた。街の活気を実感できた」と振り返る。

 元号が変わった平成元(1989)年6月、父の正雄さんから引き継ぎ、4代目の社長に就任する。バブル崩壊の以降、インターネットによる情報社会が加速し、地場の商社としては立ち回り方が難しくなってきた。

 「いかにお客さんから声を掛けてもらうか」。地域に根差した産業資材商社の強みは早さと正確さにあると考え、きめ細かく取引先を回りながら、交換部品の当たりを付けたり現場の困りごとを把握するよう努めた。財務体質を強化したり社員の自立心を促すなど、会社の根幹となる部分の改革も図った。
 現在は長男の暢彦さんが常務を務め、早さと正確さのモットーを大切にしている。父と同じ大阪のバルブ専門商社で3年間修行し、2007年に吉沢商事に入社した。

吉澤政彦社長(右)と暢彦常務

 「大阪での修業時代の最終日、当時の総務部長から〝お客さんと仕入れ先は対等だから〟と言われたことを忘れない」と暢彦さん。産業資材商社は鋼管やバルブ、ガスケットなどメーカーから供給を受けられないと商売にならない。今で言う〝サプライチェーン〟を大切にする経営志向は、商人の町・大阪では古くから文化として根付くことを学んだ。

 「吉沢商事の120年は、事業を取り巻くさまざまな人の支えがあったから」と吉澤親子はそろって話す。〝石橋をたたいても渡らない〟つつましく自然体の企業姿勢が、120年の年月を着実に刻んできた秘訣(ひけつ)のようだ。

 「長く社会に貢献してきた知名度や信頼を大切にし、時代の変化に対応した経営を目指したい」と政彦さん。暢彦さんは「これからもお客さんと仕入れ先を大切にし、従業員が健康で働きやすい環境を一層つくりたい」と話し、強固なサプライチェーンのもと次の5年、10年と新たな歴史を刻む構えだ。