”墜落事故で亡くなったじいじのことを孫たちに伝えたい”。
そんなささやかな思いから7年前、自費出版された1冊の絵本があります。
絵本の作者は37年前の8月、520人が犠牲となった日航機墜落事故で夫を亡くした女性です。
絵本に込められた思いはいま、世界の航空関係者や事故を知らない若い世代に確実に広がりつつあります。
(経済部記者 加藤ニール)
「子供よろしく」夫が残した最後の言葉
私が“パパの柿の木”という絵本の取材を始めたのは2015年春のことでした。
作者は、大阪・箕面市に住む谷口真知子さん(74)。
このころ、真知子さんは絵本作りに向けて、アルバムなどを振り返りながら、事故当時のことやその後の家族の歩みについてのエピソードを1つ1つノートに書きためていました。
真知子さんは、520人が犠牲となった日本航空の墜落事故で、15年間、連れ添った夫の正勝さん(当時40)を亡くしました。
夫婦と息子2人の4人家族。
正勝さんはいつも家族を楽しませようとする父親で、休みのたびに釣りやバーベキューに連れていってくれました。
「おれの子どもたちは世界一」というのが口癖だったといいます。
1985年8月12日。
正勝さんは上司の葬儀に参列するため東京に出張していました。
その帰り、大阪に向かう飛行機で事故に巻き込まれました。
墜落直前の揺れる機内で、正勝さんはまち子さんに最後のメッセージを書き残していました。
「まち子 子供 よろしく」
座席に備え付けられた紙袋に書かれたそのメッセージは、運転免許証と一緒にズボンのポケットに入っていました。
家族のもとに確実に届くようにするためだとみられています。
正勝さんは、最後まで家族のことを気にかけていました。
パパのパパを知らない孫娘のために
真知子さんが、絵本を作ろうと思い立ったきっかけは、幼い孫娘のひと言でした。
毎年、慰霊のために訪れる御巣鷹の尾根に向かう途中の出来事でした。
次男の夫婦や孫と、正勝さんの思い出話をしながら登っている途中、孫娘が「パパのパパに会いたかったな」とつぶやいたのです。
祖父のことを知らない孫娘のために、家族で過ごした楽しい日々と、事故後、残された家族が懸命に生きた歩みを伝えておきたい、真知子さんはそう思うようになりました。
絵本の主人公は、孫娘のパパ。
真知子さんの次男です。
絵本では、家族で囲んだ食卓や夏休みに出かけた海やキャンプなど、パパ(正勝さん)と過ごした楽しい思い出が次男の視点で描かれます。
しかし、墜落事故によって突然、当たり前だと思っていた家族の幸せな日々が奪われます。
パパのシャツを抱きしめながら毎晩ベットに入る息子の様子や、正勝さんの遺書を見ながら泣き続ける真知子さんの様子が描かれます。
悲しみいやしてくれたパパの柿の木
事故のあと、真知子さんは体重が10キロ減り、髪も白くなったと言います。
中学1年生と小学3年生の息子2人を抱えて、この先どうやって生きていけばよいのか。
先のことは何も考えられず、途方に暮れる毎日でした。
ふだんは仏壇にしまってあるこの遺書を私に見せてくれたとき、真知子さんは当時の気持ちを打ち明けてくれました。
谷口真知子さん
「夫の腕の中で守られて暮らした経験しかなかったから、1人で何ができるか不安だらけだった。『子供よろしく』といわれても、突然いなくなってしまったくせに勝手なことばかり言わないでよと感じてしまった。夫の最後の望みだから子どもたちをちゃんと育て上げないといけないと思うと同時に、すごく大きな重荷を背負わされた気持ちになった」
そんな真知子さんたちが前を向くきっかけになったのが、絵本のタイトルでもある「パパの柿の木」です。
正勝さんが息子たちに食べさせたいと、事故の5年前に自宅の庭に植えました。
その柿の木が、事故から1か月余りがたったある日、初めて実をつけたのです。
泣いてばかりだった真知子さんたちを心配した正勝さんが、家族を励まそうとしてくれているのだと感じたといいます。
真知子さんは子どもを育てるために働くことを決意。
資格の勉強を始め、仕事に就きました。
絵本には、柿の木に実がなったのをきっかけに、家族が少しずつ、前を向いて歩いていく様子が描かれています。
事故から30年となる2015年夏。
絵本は完成しました。
世界に広がる絵本
孫のためにかいた絵本は、思わぬ広がりを見せます。
当初は、家族や友人など親しい人たちに配るための自費出版でした。
しかし、読み聞かせ活動などを通して反響を呼び、翌年の2016年には、出版社から一般向けに販売されるようになりました。
その2年後には、絵本に心を動かされたというシンガソングライターが真知子さんのもとを訪れます。
事故の年に生まれたこの男性とともに、絵本をもとにした歌を制作しました。
さらに、絵本の読み聞かせで訪れた地元のインターナショナルスクールに通う高校生たちが、絵本の翻訳を申し出てくれました。
2020年夏には英語版の絵本が完成。
インターネットを通じて海外にも届けられました。
英語の絵本 届けたい相手とは
真知子さんには、英語版の絵本を読んでもらいたい相手がいました。
アメリカの航空機メーカー、ボーイングです。
事故で墜落したジャンボジェットを製造した会社です。
事故の調査報告書では、ボーイングによる機体の圧力隔壁と呼ばれる部分の修理ミスが事故原因の1つとして指摘されています。
英語版が完成したその年、真知子さんは絵本とともに、いまの思いをつづった手紙を同封しました。
“事故当時は日本航空やボーイング社を恨みましたが、幼かった息子達も成長し、恨んでばかりいても前を向く事は出来ない。それでは残された者たちは幸せになる事は出来ないと気付きました”
“より多くの方に絵本を読んで頂き、ありふれた日常の有り難さ、悲しく辛い事があっても絶望せずに前を向けば、いずれは希望が見えるというメッセージを伝えたいと思っていました”
“たった一つの小さなミスが多くの人の命と人生を奪い、残された人達の運命をも狂わせてしまいます”
“当時の社員の方は、もうほとんどいらっしゃらないと思いますが、公共交通機関に携わる方達に読んでいただきたいと思っています”
谷口真知子さん
「日航機の墜落事故のあとも、毎年のように鉄道やバス、船などでも痛ましい事故のニュースを目にする。そのたびに事故に巻き込まれた人やその家族のことを考えると胸が痛みます。そうした思いをする人が少しでもいなくなるように。この絵本が役立ってくれればと願っている」
真知子さんは事故後、ボーイングと直接やりとりしたことは一度もありませんでした。
突然送っても、読んでもらえないかもしれない。
不安に思いながらも、自分の思いだけは伝えておきたいと絵本と手紙を送りました。
ボーイングからの手紙
それから1か月余り。
返事が届きました。
手紙の主は、ボーイング日本支社のウィル・シェイファー支社長。
そこには安全への誓いの言葉がありました。
“あなたの物語には私自身、2人の息子をもつ父親として深く胸打たれました”
“ボーイング日本支社のリーダーとして、私たちの飛行機に乗る人たちの安全がもっとも優先されるべきものだということを改めて心に刻みました”
“私はアメリカのボーイング本社の幹部たちとも絵本のことを共有しました”
“日本支社の従業員全員に絵本を読むよう勧めるつもりです”
谷口真知子さん
「まさか返事がくるとは期待していなかったので驚いた。支社長が親の立場で自分事として私の絵本を読んで事故のことを考えてくれたことがうれしかった。しっかりと私の思いは届いたのだろう」
ボーイングでは、絵本を社内で共有して安全教育に生かしているといいます。
形を変えて広がる絵本 ミュージカルに
絵本は、事故を知らない世代にも届いています。
今年7月10日。
私は真知子さんに招かれて大阪へと向かいました。
“パパの柿の木”が、ミュージカルで演じられることになったのです。
ミュージカルには、2回の公演で、延べ400人の観客が訪れました。
舞台で演じたのは、小学生から30代までの25人。
メンバーのほとんどは、オーディションをきっかけに事故のことを知ったといいます。
その1人、息子役を演じた中学1年生の鈴木楓さん。
鈴木さんは、当時の息子の心境を少しでも知りたいと、メンバーとともに真知子さんの自宅を訪れました。
そこで印象的だったのが、ダイニングのテーブルやいす、そしてテーブルクロスが、絵本に描かれたまま並んでいたことです。
真知子さんは、夫が亡くなる前に家族4人で食卓を囲んでいた頃のものを、今も変わらず大切に使い続けていました。
鈴木楓さん
「家族で過ごす当たり前のような日常の日々を、真知子さんは、今もとても大切にしているんだと感じました。それだけに事故で、真知子さんや子どもたちが、どれくらい悲しい思いをしたのか考えました。当たり前のような日々がどれだけ大切か、見てる人に感じてもらえるように演じたいと思いました」
事故の教訓どう伝える 事故知る社員1.8%に
事故から37年がたつ中、その教訓は、どのように継承されようとしているのか。
先日私は、羽田空港近くにある事故の教訓を伝える日本航空の安全啓発センターを訪れました。
ここには、墜落した機体の一部や事故で亡くなった方たちの遺品や遺書などが展示されています。
日本航空の社内では、事故の教訓をいかに継承するかが大きな課題となっています。
事故対応にあたった社員のほとんどはすでに退職。
1万4000人いる社員のうち、当時を知る社員は1.8%にまで減りました。
そうした中、会社がいま取り組んでいるのが、事故を語り継ぐ若手社員の育成です。
指導に当たるのは、当時、羽田空港のカウンターで乗客の搭乗手続きを担当していた伊藤由美子さんです。
客室乗務員や整備士などさまざまな職種の若手職員に、事故当日の空港の様子や事故後、遺族への対応にあたった経験などを伝えています。
伊藤さんは、事故に巻き込まれた人や残された遺族の悲しみや苦しみ、悔しさを、知識としてではなく、自分ごととして理解しようとすることから、本当の意味で安全への取り組みが始まると考えています。
今年4月から伊藤さんの指導を受けている客室乗務員の入社7年目の女性は「フライトでは目の前の乗客の命だけでなく、その人の家族など帰りを待つ人たちの人生も預かっているのだという責任を忘れないよう仕事をしていきたい」と話していました。
この取材の帰り際、私はほかの遺族の手記とともに“パパの柿の木”が置いてあるのを見つけました。
去年の新入社員向けの研修で朗読され、今年7月には、中堅社員向けの安全教育の研修でも取り上げられたということです。
私自身、事故の2年後の1987年生まれです。
事故を自分ごととして理解する努力を続けていきたい、取材を通して、改めて思いました。
今も家族を守る“パパの柿の木”
絵本が思わぬ形で広がりを見せるなか、遠方への読み聞かせ活動や出版社との打ち合わせなど、「この年齢で正直、しんどいねん」とこぼすときもある真知子さん。
ただそうした活動のために体力を維持しようと、毎週のジム通いやウォーキングも欠かしません。
谷口真知子さん
「“パパの柿の木”がなければ、子育てを終えて家に閉じこもってばかりだったかもしれないけど、それを心配した夫が『まち子いつまでも元気でいてね』という気持ちで、この絵本をかかせてくれたのかもしれない。絵本のおかげで私も元気でいられ、若い人に事故について知ってもらえる。やっぱり“パパの柿の木”は今も家族を見守ってくれている」
絵本の最後は、柿の木を前にした家族の様子ともに次のように締めくくられます。
“パパが僕たちのパパでほんとうに幸せだった”
“パパ、いつも見守ってくれて、ありがとう”
経済部記者
加藤ニール
2010年入局
静岡局、大阪局を経て現所属