吉村大阪府知事 新規感染者記録更新の日に不登庁 舛添要一も「理解できません……」 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

 

 1月18日、大阪府では5396人の新型コロナウイルスの新規感染者を確認。東京都を抜き、全国でいちばん多い感染者数だった。第5波で最多(2021年9月1日)だったときでさえ3004人。大阪の新規感染者数は膨れ上がっていた。

 

 日本中で「第6波」の脅威が騒がれるなか、大阪で一人“静かな“男がいた。吉村洋文大阪府知事(46)だ。

 

 

「これまで、新型コロナウイルスの感染拡大をうけ、連日の会見やテレビ出演を重ねてきた吉村知事。あまりのメディア露出の多さに、彼が第1波の対応に追われていた2020年4月には、『#吉村寝ろ』というワードがトレンド1位になったほどでした。

 

 いつもの吉村知事であれば、こうしたときはすぐにメディアの前に出て、会見やぶら下がり取材に応じてきました。しかし18日は一切、吉村知事がメディアの前に姿を現わすことも、コメントを発することすらなかったのです。

 

 永田町では『なぜ吉村知事が表に出てこないのか』が話題になっていましたよ。大阪府庁関係者に聞いてみると、『家庭の事情』という理由だと聞きましたが、実際はどうだったんでしょうね……」(永田町関係者)

 

 大阪府が公表している「知事の日程」によると、18日は「公務日程なし」となっている。これまでの新規感染者数を大幅に上回る感染者が報告されたその日に、府庁に不在であった事実には、疑問の声も上がっている。

 

「感染症対策は、何時に何が起こるかわからない。外を歩いていると携帯はあってもデータがわからないから、役所に上がって指揮を執るというのがいちばんです。感染症対策ではそれくらいの覚悟が必要ですよ」

 

 吉村知事をそう批判するのは、元東京都知事の舛添要一氏(73)だ。

 

「私は新型インフルエンザが流行した2009年に厚労大臣として対応しましたが、そのときはまったく休みもなかったですね。朝は5時くらいに起きて夜中の12時くらいまで仕事をせざるを得なかった。

 

 深夜のうちへ帰って、その後休むにしても、寝床の近くに携帯電話を必ず置き、背広とネクタイをそろえておいて、何かあればすぐ着替えて出ていけるようにしていました。

 

 あのころも、今と同じくらいパニックでしたから、アメリカから成田に着いた飛行機に感染者がいたというと、すぐ電話がかかってくる。着替えているうちに迎えの車が来るので、そのまま役所に行くんですよ。

 

 そして夜は午前0時まで、朝は6時以降に記者会見をやる。東村山の感染研に検体を持っていくと、結果がわかるのが真夜中になるんですよ。感染が判明したら発表しなければならないから、午前0時に記者会見をやることになる。またどこかで感染者が出たら、今度は朝の6時から会見をやる。私のときの感染症対応というのは、そういう感じでしたね。

 

 真夜中に、当時大阪府知事だった橋下徹くんから『学級閉鎖の問題で収拾がつかなくなったから助けてくれ』と電話が来たこともありました。そうした突然の連絡もあるので、家に帰っても臨戦態勢でやっていました」(舛添氏)

 

 そもそも、休日に万が一のことがあってはまずい知事の勤務体制は、どのようになっているのだろうか。舛添氏が続ける。

 

「厚労大臣だったときも都知事だったときも、週末は休みました。とはいえ、全部ローテーションを組んでいて、知事が休みのときは副大臣や副知事がいるわけですよ。吉村さんも、そういう対策は取ってはいると思うんですね。ただ、基本的に知事が休むのは週末です。

 

 そもそも、吉村知事は非常事態の日にもかかわらず、なぜ1日まったく出てこなかったんだろう、というのは疑問ですね。吉村知事は、登庁しなかったのはどうしてなのか、ちゃんと説明したほうがいいと思います。大阪府民が『それならいいよ』という事情ならかまわないのですが、それにしてもまったく登庁しなかったというのは、やっぱり理解できません」

 

 改めて、18日の吉村知事が登庁していなかった理由を大阪府秘書課に問い合わせたが、「18日、吉村に確認したところ、たしかに公務日程はなかったが、終日どこにも外出していない」という返答が返ってきた。

 

 前出の「知事の日程」によれば、吉村知事の今年最初の平日休みが18日だった。事前に決めていたスケジュールであれば、間が悪いとしか言いようがないが……。

 

 大阪府の新型コロナウイルスの新規感染者数は、21日6252人に上り、過去最多を更新した。「#吉村寝ろ」と言える日は、まだまだ遠いようだ。

 

(SmartFLASH)